こんにちは。wiwiw介護アドバイザーの角田です。
近所の公園に大きな桜の木があります。桜は落葉樹で、晩秋には葉を落として開花の準備をします。
昨年9月21日、台風が東京を直撃し、公園の桜の枝が折れてしまいました。1m50cm位の枝が、木の高いところにぶら下がったまま冬を迎えました。他の落葉樹も皆葉を落としている中で、その折れた枝には黒い葉がびっしりと付いています。
それを見て、生きている枝の葉は生を全うして自分から「落ち葉」になって地に落ちるということに気づきました。途中で枯れてしまった枝の葉は「落ち葉」になれずに、カラカラに枯れても枝にくっついているのです。木枯らしに揺れる葉は、とても痛々しく見えます。
私は落葉から、人間の延命について連想しました。
介護相談を受けていると、延命処置に関する悩みが寄せられます。
口から食べられなくなったとき、日本では経管栄養といって、栄養剤を鼻からあるいは胃に穴を開けて管を通して流し込むか、血管に点滴する治療が行われています。
経管栄養によって体力が戻りまた口から食べられるようになるケースでは医療の進歩と喜べますが、意思表示の出来ない高齢者の場合など本当に必要な処置なのかと議論が分かれるところです。
私は、口から食べられなくなるのは自然の流れで、きれいに枯れていくための過程と受け止めたいと思います。しかし、家族がそのような状態になったときは、また別な思いが湧いてくるのではないかと想像します。医療の恩恵を受けつつどこまで「自然に」を求めるか、この問題に直面する前に、家族で話し合っておくことが必要な時代になりました。
公園の桜を見ると、落ち葉になるという当たり前のことが、台風という外力によって叶わなかった辛さを感じます。人間も生物ですので、充分に生ききることが大切です。そして、介護とは、家族がその人生を全うするのを手助けすることであると思えてきました。
つのちゃん
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