こんにちは。wiwiwの介護アドバイザーの角田です。
今回のタイトルは何を表していると思いますか。
これは、相談を受ける中で、認知症ケアはこうあったらいいのではないか
と私が感じていることです。
私は筋が通ったことや理路整然としたことが好きです。
いつも正しくありたいし、間違ったことが生理的に嫌なタイプだと思います。
実際、正しくなければテストで×になってしまいましたよね。
この価値観で認知症に人に接すると、介護者は疲れ果ててしまいます。
今言ったことを何度も何度も聞き直され、その度に正しく説明しなければなりません。
今までできていたことができなくなるので、その度に「これはこうするのよ」と正しいやり方を教えなければなりません。
その通りにできないので、また教えます。
何度も何度もと言いましたが、これが5分おきだとしたら、「いい加減にしてくれ」と叫びたくなりますよ。
本人は不安でおどおどし、逆に怒り出す人もいます。
こういうケアに行き詰ったとき、生活する上では、間違っていても何とかなることがたくさんあるなと思いました。
「大丈夫だよ。私がいるからね」と安心させ、笑顔で手助けするほうがいいと思うようになりました。
靴の左右を履き間違えていたら、柔軟性のある足だと感心し、笑いながら履き替えの手助けをします。
左右別の靴を履いていたら、履いてきただけ良かったと思い、一緒に笑ってお出かけします。
本人は平気なわけですし、周りの人も他人の靴なんて気に留めません。
気付いても「あれっ」と思ってクスっと笑うくらいなものです。
ここまで読んで、そんなふうには思えないと反発を感じた人もいらっしゃるでしょう。
認知症介護をしたことがないと靴の履き間違えなんてたいしたことはないと思うでしょうが、
実際に親の足元を見たときの情けなさ、悲しさ、悔しさは計り知れず、
心臓がキューっとなって思わず怒鳴ってしまいたくなる程のことなのです。
その経験を踏まえたうえで、“正しい”より“楽しい”と呪文のように唱えてほしいと思います。
正しさを押し付けてイライラするよりも、楽しい時間を過ごしたほうがお互いにハッピーだと思います。
認知症の人と暮らすときに、いろいろな場面でこの呪文が役立つことがあると信じます。
そして、これは家族が仲良く暮らすときにも必要なことかもしれません。
つのちゃん
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